うちは、だんなさんが突然「LA行くぞ、ロサンゼルス!」とか言い出して、張り切ってホテル取ったり航空券取ったりしまして、ついこの1週間、燦々と輝く太陽のもと、ビーチでダラダラと過ごしてきました。
ダラダラ最高です。いつまでもダラダラ過ごしたい。
寝言はさておき、夏休みが過ぎ去ろうとしている。
息子は毎日「あと○日しかない」と嘆いている。気持ちはわかるが落ち込み過ぎだ。
それとは対照的に、私のワーキングパパママ友だちは、夏休みが終わるのを指折り数えており、「どうやら北海道民の父母に夏休みが訪れた(=子供が学校に行き出した)らしい」といった、羨望ともいえる情報が流れてきた。
よく考えたら、だんなさんの海外赴任に伴って私は昨年5月末で会社を辞めたので、息子が学齢期に入ってから、働きながらこどもの夏休みを乗り越える、という経験が私にはない。
もし働いていたら、どうやって夏休みを乗り越えたらいいのか、やはり頭が痛かったと思うし、夏休みが終わるのを心待ちにしたんじゃないかと思う。
もちろん、毎日息子と過ごすのは、働いていなくてもいろいろ面倒に感じることは多い。
お昼ご飯作らなくちゃ、とか、どこか遊びに連れ出さなくちゃ、とか、勉強もやらせないと、とか、息子が学校に行っていれば特に気にしなくてもいいようなことを気にしなくちゃいけないし、息子を一人で留守番させるわけにはいかないから、買い物にも自由にいけない。
でも、夏休みが終わるのを「心待ちにする」、というのは少し違うような気がしている。
日本と違って、アメリカでは夏休みの終わりは新年度のスタートを意味する。
2ヶ月半も続いた夏休みの後、何もかも刷新された新年度がスタートするのは、けっこうハードルが高い。
新年度がスタートするということは、クラス替えがあり、クラス担任が変わることを意味する。
そうすると、また一から先生やクラスメイトと関係を築くことになる。
ただでさえ学校なんて行くのは気が重いだろうに、勝手がよくわからない新年度であればなおさらじゃないだろうか。
(学校行きたくて、待ちきれない!という子もいるだろうけど。少なくとも私は夏休み明けがしんどかった記憶が。)
余談だけれど、昨年は鎌倉市の図書館の公式ツイッターが話題に。
学校死ぬほどつらい子は図書館へ… 司書のツイート拡散:朝日新聞デジタル
日本でもそうだけれど、保育園と違って小学校となると保護者はそれほど先生と交流する機会はないし、新しいクラス担任と聞いても、学校にいる先生を全員知っているわけではないので、どんな先生なのか顔すらよくわからない。新任の先生もいるだろうし。
私自身も、新学期へのハードルを感じる。
それから、クラスの保護者同士の交流も気になっている。
日本語が通じるからと言って、日本でクラスの保護者同士が交流するかというとそんなこともないので、それほど積極的に交流する必要もないのだけれど、先日、今年1月に転入してきた男の子(韓国人)のママとしゃべっていたら、彼女は流ちょうに英語を操っていて、私なんかよりずっとクラスの子どもたちについて詳しかった。情報を引き出す、という点においてもやっぱり会話ができるできないは大きいよな、と情けない気持ちになった。
結局、自分の語学力の問題になってくるんだけど、せっかく一年かけて担任の先生とつたないなりに何とか関係を築いてきたのに、また一からやり直しになるのが、実は、精神的に負担である。
言いたいことがうまく伝えられないもどかしさ、というのは常に付きまとっていて、英語身に付けなくちゃ、でもどうやって?の堂々巡りである。信じたやり方で進めているけれど、いまいち上達している気がしない。
もちろん、先生側としても、たくさんの新しい保護者と新しく関係を築くのは大変だろう。
特に日本人なんて大人しいから、何を考えているかわかりづらいだろうし。
ここはひとつ、メチャクチャでもキャラが立つ方向で自分を盛り立てたい(小さな目標#1)
新しいクラスの保護者とも、できれば、仲良くできる人を作りたい(小さな目標#2)。
そして一番重要なことは、私よりも不安なのは息子だということ。
英語がわからなくても、それなりに存在感をじわじわ出して頑張ってきた息子ではあるけれど、またそれを作り上げていかなくてはならない。仲のいいお友だちのうち、何人かは同じクラスにいればいいのだけれど。
前出の韓国人男の子とは、息子は気が合ったみたいなんだけど、ママに聞いたら「アメリカは1年だけの赴任なの。来年2月に韓国に帰るわ。」と言われ、ものすごくがっかりした。
せめて、天気だけでもしばらくキラキラしていてくれないかな。
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