毎日プリントを持って帰ってくるので、毎日やらせて提出している。
算数だけは、日本の方が進んでいるから日本人はよくできる、的な話もよく聞くんだけれど、確かにそれもそうなんだけれど、文章題となると本人はお手上げである。読めないから。
でもまあ、読めたところでそれを理解できるかどうかはまた別の問題で(実際、日本語のドリルでも息子は意味が分からないことがよくある)、日本でもアメリカでもReadingに力を入れているのはこのためだと思う。
さて、アメリカの算数の出し方が日本とは違っていて、またしてもなるほどなーと思った。
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- 碁石(とは言わないだろうけど)を並べて、それを5つでグルーピングし、それを見ながら計算式と答えを両方書かせる問題
- 答えはすでにでているんだけど、それを導き出すための計算式をすべて書かせる問題
日本ではこういう出し方はあまりしないんじゃないだろうか。
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計算式の正解は1つのみ。
とにかく大量に計算させる。
どちらがいいということはないんじゃないかと私は思っている。
実際、公文が KUMON としてアメリカで成功しているのも、アメリカで大量に問題を解く手法への抵抗感は別にないということなんじゃないかと思うし。
二つの異なったたアプローチで算数を学べるのは、それだけ引き出しが増えることなので、のちのち得することも増えてくるんじゃないだろうか。
現地校と補習校のダブルスクールでも、得することはある!
***
「ギフテッド」で一躍有名になった大川翔君のブログに、こんなエントリがある。
(関係ないけど、私はマスコミが取り上げるずっと前から彼のブログを読んでいて、かなり影響を受けた。)
実録!翔の『極楽カナダ生活』 小学校の算数(1)
少し引用。
(前略)天才少年と言われている人から「算数において日本語はすばらしい」と言われると、ををを!となります。
日本語では、11 は 十一(じゅういち)、12 は 十二(じゅうに)、20 は 二十(にじゅう)、30 は 三十(さんじゅう)って言うよね。これって、本当にすばらしいと思う。これだけで、ずいぶん、算数が楽になってるって思うんだ。
(中略)
僕の場合、英語やフランス語じゃなくて、一番最初に日本語で数字を覚えたってことが、算数の勉強において、すごくよいスタートになってたって思った。
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