アメリカ西海岸、シアトルのお隣ベルビューにいます

2018/04/29

渡米直後の壁を「みんな」越えられるのか?

ちょっと気になる記事を読んでしまって、悶々として眠れなくなってしまって、うっかり書き起こしているたまこです。睡眠は大事です。ちゃんと寝ようよ、自分!

要旨だけお伝えすると、
渡米してから子供が英語をどのように獲得していくか、
半年は捨てる覚悟
1年目くらいから耳が慣れ始め、1年半で一気に楽になり、2年でほぼ聞く・話すは問題なくなる

最初はしんどくてつらいだろうけれど、みんなが通ってきた道
みんな乗り越えられる壁
がんばっていることは、家族も周りも知っている
だからちょっと努力してみよう

ここはアメリカ、言葉を話せないつらさを知っている子は多い
だから、困っていたら必ず誰かが手を差し伸べてくれる

アメリカでの最初の数年はかけがえのない思い出になるはず
気づいたらいつの間にか英語しゃべれるようになっていた、という日がきっとくる
アメリカの生活を楽しんで

この記事を書いた方のお子さんもとても苦労されたようで、涙なしには読めない内容もたくさんあった。でも、でも、そういった事情をすべて知ったうえで、それでもやっぱり私は

いつの間にか英語がしゃべれるようになっていた、という日がきっとくる

とか軽々しく言わないでほしい!と思ってしまう。
必ず誰かが手を差し伸べてくれる、とか
みんなが通ってきた道だから、みんな壁を越えられる、とか

お願いだからやめてくれーーーーー!!!!

と、胸が締め付けられる思いで読んでしまった。

子供にとっては「今」が大事なのだ。
「今」苦しいのだ。
「いつか」「必ず」「楽になる」と言われたところで、「今」が苦しい子供を救うことはできない。

「今」を楽にする方法はどこにあるんだ?
とにかく耐え忍ぶだけなのか??
親と一緒に、毎日泣きながらがんばるしかないのか???

子供を取り巻く環境は、個々によって全く違う。
同じ学校に通う子供たちでも違う。
親が違うし、家庭環境も違う。
同じ時期に渡米してきたとしても、そこに至るまでの過程も違う。
性格も異なる。

そんな中で、「みんな乗り越えられる」とか、「みんな」って…「みんな」って…

十把ひとからげに子供をまとめないで!

と思う。
子供はある日突然、親の都合で外国に連れてこられて、意味も分からず現地校に放り込まれてしまったのだ。順応できる子もいれば、なかなか順応できない子もいる。

「みんな」って誰?
「平均」って何?

平均して3年で聞く・話す能力がネイティブ並みになります、と言われても、この世に「平均」という人はいない。大勢の名前のある子供たち一人一人がそこにいるだけだ。100のケースがあるのではない。1のケースが100人分存在するのだ。

親も頑張りましょう、とか
子供も日本語には触れずにがんばりましょう、とか

確かにそれはそうなんだけど、もちろん「自分で」がんばろう、と思える強い人であればいいけれど、他人から「がんばれ」と言われたところで「どうせ他人事でしょうから」と、ひねくれた私は思ってしまうのです。

それから、励ますつもりで「海外生活をしたくてもできない人がたくさんいるんだよ」と言ってくる人もいるけれど、正直言って

どうでもいい

それはその人の問題であって、自分たちの問題ではない。「うらやむ」行為はあくまで当事者だけの問題なのだ。それをこちらに押し付けられても困る。

臆病な息子の最初の1年はとても辛かったけれど、たまたま運よくいい担任の先生にあたって、クラスのお友だちにも恵まれて、だから何とか乗り切れたのかな、と今は思う。あとは本人の踏ん張りとかそんなに気にしない性格とか。本当に個人依存。乗り切れるかどうかなんて紙一重だった。

もうすぐ丸3年となるのだけれど、息子はいまだに流暢に話すことはできないし、長いまとまった話ができない。聞くことはほとんど不自由なくなったようだけれど、文章を書かせるとかなり間違っている。全部be動詞でつなげたがる(日本語でも作文怪しいけれど、英語のそれとは比較にならない)。

おそらく、日本人の多い環境であることが要因の一番だけれど、そこでふと思うのだ。

英語獲得が一番のプライオリティなのか?

違う、子供の心の平和が一番だ。

もちろん、英語ができればもっと楽にアメリカで生活できるだろうから、それを一番に持っていくこともアリだ。ただ、それで子供が学校を楽しめなくなってしまったり、それより精神的に壊れていってしまったりするのが怖い。

心の安寧を求めて、久しぶりにまたこれを読み返してしまった。

バイリンガル教育の方法
確かに、たいていの子供は何とか乗り越えていく。間違いない。
でも、「みんな」じゃない。
そして、「必ず誰かが手を差し伸べてくれる」というのも「必ず」じゃない。
本人に余裕がなくて拒絶してしまうこともあるし。

英語をしゃべれないことを理由に、学校でバカにされたり陰口たたかれたりする子もいる。
ダブルリミテッドになってしまって、日本人とも現地の人ともじゅうぶんな会話ができなくなる子もいる。
うまく言語化できなくて手が出てしまいがちになり、トラブルを起こす子もいる。
悩んで悩んで、駐在の父または母だけを残して帰国を決めるご家庭もある。
(駐在員ご本人が精神を崩してしまうケースもある。)
帰れればいいけれど、帰る道のないご家庭もあるだろう。

だから、私は簡単に「がんばろう」とは言えない。
言えるとしたら、「辛いよね」という共感だけかな…

そしてたとえ乗り越えられなかったとしても、それは恥じることはない。
みんなはできるのに、自分だけできなかった、とは考えてほしくない。
ただ単純に「自分にはできなかった」、それだけだ。

この方法で練習すれば「絶対」野球選手になれます、とか
こうやってがんばれば「絶対」東大に入れます、とか

そんな「絶対」が存在しないのと同じように、
3年アメリカにいたら「絶対」英語が流暢になって楽になります、
も存在しない。
あるのは、「3年間アメリカで暮らしました」。それだけだ。

「絶対」と言ってしまった時点で、「絶対」にはまり切れなかった人が劣等感に陥ってしまう。そんな「絶対」は存在しない、たとえできなかったとしても落ちこぼれでも何でもない、運悪くそういうめぐりあわせだっただけだ、誰も悪くない。

***

海外生活に過大な期待をする人は多いと思うけれど。
いきなり英語ペラペラになっちゃうとか、自由にのびのびできるとか、何やらわくわくすることが起こるとか、そんなミラクルはない。

あるのは、ただのふつうの生活です。
毎日を暮らす。今日が終わったら明日がやってくる。毎日を積み重ねていくうちに、気づいたら1週間、3か月、一年、と過ぎていく。年月は日々の積み重ねだ。その積み重ねの中に「異文化と触れる・なじむ」「第二言語を吸収する」という項目が入ってくるだけだ。ただ、それが占める割合が大きいから苦しくなってしまう。

本当に苦しかったときは、「まずこの1時間を乗り切ろう」から始まって「今日はがんばれた、明日を乗り切ろう」という風に、細かい時間の積み重ねで乗り切っていったような気がする。

海外生活始めたばかりの方々もこの時期多いと思う。中には、

みんなできているのに、なぜ私だけ

と考えている人もいるかもしれない。でもそんなことないです。少なくとも私もそういう時期を通過した。あなただけじゃない。何の慰めにもならないと思うけど。
(私の過去記事暗いから読んでみて!)

ふつうの生活を積み重ねていくのも、並大抵なことではないのだ。

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2 件のコメント:

  1. もう渡米して四半世紀だけど、まだ聞き取ってもらえない、自分の英語間違ってる?と不安に感じること毎日です。子どもはアメリカ生まれだけど、私が日本語でしゃべってるせいかやっぱりちょっと不自然なときも。。。それに加えて日本語まで変になってきています。最近ではネイティブっぽい英語はもう諦めた!なかみで勝負だって思うことにしてます。(なかみ、も漢字が不安なのでひらがなで笑)

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    1. りょうこさん、

      えー、そんな、りょうこさんにそんなことを言われてしまっては、私は何も言えないですー(笑)

      やっぱり、親が子供の英語力をはかれないと、「うちの子はペラペラ」とか思いこんで気づかないことたくさんあると思うんですよね。だから、お子さんの英語がちょっと不自然だと感じられるりょうこさんがやっぱり素晴らしいと思います!

      それにしても、お子さんの送迎から応援、さらにご自分のワークアウトにお仕事…と走り続けるりょうこさんを拝見(拝読)していると、私なんか全然足元にも及ばない!と思ってもっとがんばろうって思います。いつもありがとうございます!

      たまこ拝

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