忙しいだろうに、本当に感謝している。
初日は校長室に来るよう言われていたので、直接校長室に行ったら、当たり前だけど校長先生がいらして、さらに「えーと、あんたたち何者?」みたいな顔をされてしまった。おそらく、副校長との連携がうまくいっていなかったんだろう。それで、
「今日から体験入学でお世話になります」
と挨拶した。
そうしたら、校長は血相を変えて、こうおっしゃった。
「世田谷区では『体験入学』という制度はありません」
「あくまで『編入』です」
「短期間と言えども、学籍を作りますし、他の生徒さんと同じ扱いになります」
「『体験』という言葉は、今後使わないでください」
とにかく、腰掛なビジター気分で通学されるということに対して、よほど腹に据えかねたんだと思う。そんなつもりじゃなかったんだけど。
まあでも、たとえそうだとしても、子供の前でそんな言い方することないよな。勘のいい子だったら、自分は歓迎されていないことを薄々感じてしまうだろう。教育者としての見識を疑ってしまう。
この記事の下の方に、体験入学に関する批判が載っていた。
一時帰国に子供を日本の小学校に体験入学するメリット・デメリット | Yomotoフランス雑記
これらの批判を受けて、このYomotoさんは下記のようにコメントしている。
子供たちは日本国籍を所有する子も多く、教育を受ける権利があるのではないか?と横柄な態度で臨む方もいるかもしれません。しかしこのような権利が法的に定まっているわけではなく、あくまでも管轄の教育委員会・学校によるご厚意によるところが大きいです。「謙虚な気持ち」、ちょっと違和感がある。
一時帰国滞在先によって変わってきてしまいますが、受け入れてもらえるという謙虚な気持ちで臨みたいですね。
電車で席を譲ってもらった妊婦が、座ったらスマホいじり出した、とかいう批判と同じような空気を感じる。親切を受けたらすまなそうにしていろ、という空気。
親切をする側とされる側で上下関係ができてしまうのは、やっぱり違うんじゃないかと思う。
それは、親切にする側が見返りを求めているからに他ならなくて、それは本来の親切の形ではないというか。親切にしてもらって本当に有り難いなあと思ったら、別の機会に自分が他の誰かに親切にしようと思うし、それが巡り巡って自分に返ってくる、というのがいい社会じゃないかと私は思う。
もちろん、息子が体験入学することによって、学校側に余計な仕事を増やしてしまうのは、本当に申し訳ないし、とても感謝している。たまたま、毎年数名受け入れているようで、学校側も慣れている感じがあるし、担任の先生もいろいろと根回ししてくださって、揃えなくてはならない道具などをいくつか貸し出していただいてもいる。本当に有り難いと思う。
だからと言って、こちらが卑屈になる必要はないと思っている。
受けた親切を、何とか別の形で返していけたらなーと思う。
こういう対立構造になってしまうのはとても悲しい。
世の中にはたくさんの悲しい対立構造(「独身 vs. 既婚」「ワーママ vs. 専業主婦」などなど)が存在しているけれど、対立するのではなく、共存できる社会が当たり前になるといいな。
***
最近はインターネットで何でもできるので、クラスで仲良くしてもらっているママを経由してアメリカからお手紙(電子ファイル)を届けている。アメリカの学校の様子や、息子が英語で苦労している話、補習校で日本語もがんばっているよ、などなど。
中にはアメリカに興味を持ってくれる子がいて、最近では大統領選でアメリカのニュースがたくさん見られたときは、息子のことを思い出してくれた子もたくさんいたみたいだ。
英語に興味を持つ子も増えたようだし、そこから将来アメリカに留学する子が出てきてくれたら、とても嬉しい。
学校側にはあまりメリットがないような気もするけど、体験入学で来ていた子の中から、あるいはそういう子を目の当たりにして海外に興味を持った子が、将来大成して凱旋講演でも学校でしてくれたら、長期的に見たら学校にもメリットないわけじゃないよと...そういう可能性だってなくはない。
とは言え、今現場でがんばっている先生方にはあまりメリットがないのが、やっぱり心苦しいです。
本当にありがとうございます。
クラスの保護者の方々に「担任の先生は、こんなところが素晴らしいよ!」と必要以上に吹聴するくらいしか、できていません...
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