彼女はかつての補習校生徒。
現地校ではいじめられ、殻に閉じこもり、唯一の楽しみが日本語補習校だったそうだ。
彼女がスイス時代に通っていた補習校を訪れ、そこにかつての親友が現れ、そしてこんな言葉を交わす。
「どこが私のふるさとなんだろう」
「日本人とスイス人だけのハーフの国があればいいのにって思った時期があって」
親友とそんな気持ちを共有すると、
「そういうところもあって、話が合いやすい」
と言っている。
聞いているだけで、本当に切なくなった。
日本に来てから彼女は「友だちができないのは、スイスという国のせいじゃなかった、自分の性格だった」と思い立って、テレビの世界へ飛び込むことになるんだけど(本当にすごい)、でもこういう心の葛藤は「自分はいったい何人なのか」というアイデンティティのゆらぎからくるものだったんだろうなあと思う。
彼女は、今は「スイスの経験があったからこその自分」とまで気持ちの整理がついたようだけれど、どの子もこんな風にうまいこと着地できるとは限らないんだよな、厳しいな、と思った。
以前、「アメリカで育つ日本の子どもたち」のレビュー記事にも書いた。
息子がティーンになる頃、彼はどのあたりにいるのか皆目見当もつかないけれど、迷ったときに、そばにだれか共有できる仲間がいてくれたらいいな。
***
ちょっと話題は外れるんだけど、途中で彼女の妹さんと日本語で会話する場面が出てきて、妹さんも日本語ちゃんとしゃべれている!とびっくりした。春香さんの方は、16歳で日本に出てきたので日本語がしっかりしているのは当然だとは思うけれど、そのままスイスに残ってスイス人として生きている妹さんが日本語を保持し続けているのは、本人の努力も間違いないと思う。
私の知っている三姉妹で、お姉さんは圧倒的に日本語、真ん中はどちらかというと日本語、一番下は圧倒的に英語優位、という人がいた。私は真ん中の方と知り合いなのだけれど、お父さんの仕事の関係で、彼女が小学生の時にアメリカに渡ったのだそうである。だから、お姉さんは小学校高学年から中学生の時、妹さんは幼稚園かそこらで渡米ということになる。
渡米した時期というのが見事にその後の言語優位性を決定づけている。三人とも英語も日本語もできるけれど、やはり一番上と一番下での意思疎通は痒いところまで、というわけにはいかないようだった。
結婚相手も面白くて、お姉さんのお相手は日本人、一番下はアメリカ人だそうである。真ん中は日本人と結婚したけれど、そのお相手は日英バイリンガルだった。
日本にいると、家族で優位言語が違って意思疎通がうまくいかない、みたいな話はほとんど聞かない。けれど、海外で暮らす子供たちにとって、どの言語を一番大事に育てていくか、ということは、家族との意思疎通においてもとても大事だ。そして、春香さんのように自分のアイデンティティにもかかわる重要事項でもある。
海外で暮らす子供たちにとって、日本語が心のよりどころであってくれたら、と願います。
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