日本は本当においしかった。常にお腹いっぱいで、食べたいもの全部食べ切れなかった。
今回帰ってみていろいろ思うところがあった。
自分でも一番びっくりしたのは、帰りの成田空港。
1月2日に成田を出たわけだけど、3日から現地校が始まるから、2日にアメリカに帰る人が多い。だから、何組か補習校のお友だちに会った。
その時、すごくホッとしたんです。
アメリカに住んでいる日本人に会ってホッとするって、かなり限定的なんだけど。
そんな自分に驚いてしまった。
以前にも似たようなことを書いた。
日本が仮住まいとなったと痛感した件
今回は東京の家に1週間、義実家に1週間滞在しただけだったんだけど、東京はともかく、義実家で話をしていて、ここでの生活はどんなに言葉を尽くしても、永遠に伝わらないんだろうなと感じた。
これは本当に仕方のないことだし、責めているわけでも何でもない。
ここに来る前の私だって、同じだったと思う。
週に5日現地校に通い、土曜日は補習校に通う息子のこと。
息子の日本語に英語が混じってくること。
それが日本で聞いているとかなりウザいこと。
電動自転車どころかママチャリのない車生活。
食材を求めてスーパーのはしごをしなくてはならないこと。
スーパーの店員とのスモールトークに乗り切れなくて軽く落ち込むこと。
生活に慣れたとはいえ、この海外生活が私の考え方やもっと言えばアイデンティティにも深く影響を与えたことは言うまでもない。
それは、海外生活経験のある人なら誰でも経験されていることと思う。
日本に帰って、慣れ親しんだ生活スタイルと日本語で何でもできることの解放感とは別に、この「ふつうの日本人としてうまくなじめない」もどかしさを再認識してしまった。成田空港でさらに強く感じたというか。
そうはいっても、たぶん、今すぐ日本に帰ったら、すぐになじんで何もなかったように生活を始められる自信はある。でもそれとは別に、元駐在妻の集まりがあったりしたら、それも心の支えになるんじゃないかという気がしている。
自分はともかく、子供のメンタル面も心配だし、その辺の情報交換だってみんなしたいんじゃないだろうか。
渡米前も子供のことは心配だったけれど、今は、帰ってからの方が難しいのではないかという気がしている。(うちは、今のところ帰る予定はないんだけど...)
アメリカで子供はずいぶんと自由にやらせてもらっているので、学年が上がれば上がるほど、学習スタイルの差異に子供は翻弄されるだろう。子供によっては、日本の学校の「(良くも悪くも)整然とした」環境にメンタルをやられてしまうかもしれない。
また、親と子供の間で「なんとしてもバイリンガル」と「日本語/英語はあきらめよう」の悩ましい選択を迫られることもあるかもしれない。
想像以上に日本語レベルが落ち込んでしまって、インターナショナルスクールしか選択の余地がなくなってしまう子もいるかもしれない。逆に、英語力を保つために帰国子女同士で交流することも有効かもしれない。帰国子女同士で精神的なつながりを持つことも、思春期の子供にとってとても大事なことだろう。
「アメリカで育つ日本の子どもたち」をレビューしたときにも書いたけれど、高校生が「(補習校では)自分たちは同じ境遇にあって、抱えている悩みも似ている。お互いの気持ちがよくわかる」と語っていたという下りには考えさせられた。
うーん、でも日本でこんなことばっかり言っていたら、ちょっとウザいよね。そのためにも、元駐在妻サークルほしい。すでにあるのかな。
(まだ現役だし、そもそも駐在妻じゃないけど。)
***
それはそれとして、ピコ太郎はおもしろかった。
ネタだけ(PPAP)だと、「なにこれどこがおもしろいの」だったんだけど。
トークが特に絶妙で、たまたま年末に「徹子の部屋」をつけたら、今年話題になった人ウィークとかで、ちょうどピコ太郎の回だった。あの黒柳徹子さんの前で、素晴らしい受け答えを展開していて、この人が一発屋になってしまったら残念だなーと思った。
紅白のピコ太郎も最高だった。
お笑いはやっぱり日本だよねぇ。
だんなさんが、「アメリカはチャンネルはたくさんあるけど全部クソだ」と言っていた。
息子は日本で「エンタの神様」を観た後、やたらと「ほわい、じゃぱにーずぴーぽー!」を連発するようになった。
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