初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分 : J-CASTニュース
北区議会のおときた議員が謝罪したり、「小五の子がベビーカーに乗れるわけない。バギー型車いすでは」とバギー型車いすが日の目を見ることができたりと、話題が広がった。
でもこれはやはり、東京などの大都市、人口過密地域に限定される問題なんじゃないかなーと思う。
実際、息子の首が座ったころ、ベビーカーはどんなのがいいのか義妹(福島県在住)に聞いてみたところ
「ベビーカーなんてあっても結局使わなかったし、いらないよ」
とあっさり言われた。
いらないって...
車で移動することが多いので、車にベビーカー積んで持っていったりしていたんだけど、たいして使わないのでそれもやめちゃったという話だった。
そうか、都会じゃなかったらベビーカーはマストじゃないのね。
私もベビーカーに子供を乗せて電車に乗るのは本当に大変だった。
目的地の最寄り駅の構内図を見てエレベーターの位置を確認したり(世の中には、階段を使わずに外に出る方法を写真付きで細かく載せてくださる素晴らしいブロガーがたくさん存在しているのだ。ありがとう!)、念入りに下調べをして行ったりしたんだけど、結局おじさんに怒られたり、逆におばさんに子供をべたべた触られたり、とにかく電車移動は本当に嫌だった。
嫌ならやめろと言われるかもしれないけど、そりゃ、毎回タクシーで移動できればいいんだろうけど、やむを得ないことだってたくさんあるじゃないですか。
結婚前に、友達数人(乳児のいる人含む)でランチをした時、一人が
「私だったら電車に赤ちゃんは乗せないし、もし乗せたとしても泣いたらすぐ降りる」
と言い出し、それにたいして乳児持ちの友だちが
「でもそれだと目的地にいつまでも着けないから」
と応戦していたことを思い出す。
いや、別にここで文句を言いたいわけじゃない。
結局、誰かを非難することの裏には、そうする人の心にスペースが足りないからなんじゃないかと思うのだ。
過密都市にはプライベートな空間が、物理的にも狭い。物理的に狭いところにいると、メンタル的にもスペース(ゆとり)が狭まるような気がする。
アメリカに来て、子連れへの寛容さが日本のそれの比ではないと感じることが多い。
乳幼児のベビーシッティングをして気づいたこと
そして、私自身も寛容になってきたような気がする。
アメリカでもニューヨークのような大都市はどうかわからないけれど、物理的なスペースがある程度確保されていれば、ベビーカーもさして邪魔じゃない。ベビーカーを押している大人にとっても申し訳なさ感が薄れる。
あとは、アメリカだと学生がボランティアする機会は多いし、ベビーシッターのアルバイトだってできるし、そういう経験も大きいのかなとは思う。
アメリカも別に子育てしやすいわけじゃないと思う。
国民皆保険も整備されていないし、子供だからと言って医療費免除してくれないし、保育園は目が飛び出るほど高いし、無料の学童なんかもちろんないし、習い事させようものならこれだって日本と比べられないくらい高い。
何をするにも本当に時間もお金もかかるのだ。
親が何でも送り迎えしなくちゃいけないしね。
日本みたいに子供が勝手に自転車で行ってくれるわけじゃないから。
でもまあ、基本的に車で通勤だし、渋滞したとしても片道30分くらいの範囲だし、ある程度職場の融通も利いて、職場によっては在宅させてくれたりオフィスに子連れで出勤しても文句言われなかったり、あとは何といってもまわりが「子供が小さいなら仕方ないか」みたいな意識でいてくれるから、日本よりも子育てしやすいような気がするのかもしれない。
心にスペースがあるんだなーと感じる。
子連れ優先なんて書いてなくても、小さい子を連れている人を優先的にレジに並ばせてくれたり、ドアを遠くから開けて待っていてくれたりする人がたくさんいるもの。ベビーカー押していたら、階段のところで何人も手を貸してくれるしね。
法整備だけ考えたら、日本の方が断然子育てしやすいと思う。
子育てしやすい環境を整える、というハード面であれば、ある程度胆力のあるリーダーなり団体なりがあれば、なんとかできないことはないと思う。実際、各自治体も程度の差こそあれ進めている。
でも、人々の心持ちというか寛容さみたいなものは、一朝一夕には育たないわけで、どんなにフランスやらフィンランドやらを見学しても、今の特に東京では難しいんじゃないかなと思ったりする。
身も蓋もないか。
イライラしたり頭に来たりあきらめたりすることは多いけれど、アメリカの方が子育ては楽だなーと思う。
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