アメリカ西海岸、シアトルのお隣ベルビューにいます

2017/01/07

アメリカのゆるい指導、日本の厳しい指導

あけましておめでとうございます。
日本から帰ってきて、しばらくぼんやりしていたんだけど、ぼちぼち書きたいことも増えてきました。

冬休み、日本に帰る前にピアノの発表会があった。もちろん息子の。
息子の通うピアノ教室は、まだ立ち上げて2年程度で、徐々に生徒さんが増えて、今回が初めての発表会だった。
私も初めてこのピアノ教室に通うお子さん方を目にした。
ほとんどが小学校低学年以下という感じで、高学年以上は数名しかいなかった。
20人くらいのお子さまたちがかわるがわる演奏するわけだけど、お辞儀をしたりしなかったり、演奏も暗譜しているはずなのにみんな楽譜見て弾くし、それでも途中でつっかえたり。
全体的にアットホームな感じで私は楽しかった。
息子も本番が一番いいできで、本人もたくさん褒められたし、かなり自信がついたようだった。

年が明けて後日、同じ発表会に来ていたママ友が
「こっちの発表会はハードルが低いよね」
と言う。
日本では、発表会に向けてかなり真剣に指導されたそうだ。
こちらでは、多少間違えても「うん、いいねー、うまいね!よく練習したね!」と褒められるけれど、ママ友は「え?こんなんでいいの?」と思ったそうだ。
まあ、このピアノ教室が特別緩いのかもしれないけど、想像に難くない話だなーと思った。
息子はそんなにピアノ好きじゃないけど(親のエゴでやらせている)、それでも続けられるのは先生がすごく誉めてくれるからだ。

自己肯定感って、子供にとってとても大事だと思う。
自分が認められるのは素直にうれしいし、それが積み重なれば大きな自信になる。
それと並行して私が思うのは、「他人に対する肯定感も育つ」ということじゃないかと思う。
心がすさんでくると、「どうせ自分は」みたいな気持ちになるし、これと表裏一体で「いいよな、あいつは」みたいな感情も生まれる。
ひねた気持ちで自分や他人を評価すると、ろくな結果にならない。悪循環だ。

子供ってわりと「あの子ばっかり誉められてずるい、オレだってうまくできた」とか素直に言う。その時、「そうだよね、上手だったよね。お母さんはよく知っているよ」と言ってあげられるかどうかで、他人に対しても寛容になれるんじゃないかなーと思ったりする。

日本は、なんでもかんでもすごくきちんとしている。
前にも書いたけど(ついに習い事を始めた - ピアノ -)、小学校の入学式で2年生が「1年生を迎える会」というのをやるんだけど、本当にこれは2年生がやっているのかと思うほど、とても完成度が高かった。1年後に今の1年生がこれやるのかと思ってびびった。
日本の小学校のママ友に聞いたら、やっぱりかなりのスパルタで練習したらしかった。
体育館はピリピリムードで、先生方に怒鳴られながら練習していたようだ。もちろんその甲斐あって、素晴らしい演技を披露してくれたわけだけれど。こんなに小さいうちからそんなにがんばらせなくても、と思わないでもない。もちろん、それをバネに自信をつける子供もいるんだろうけどね。

どちらがいいということではない。あえて言えば、どちらもほどほどにできればいいなとは思う。
ただ、なんというか、アメリカ人の誉め上手はこのようにして育つんだなー、とあらゆる場面で感心する。

***

余談だけど、ピアノの先生が「良かったらお母さまも弾いてみませんか?」とお誘いくださり、調子に乗って発表会のトリを...弾かせていただいた...すみません...
先生とのデュオだったんだけど、確かに先生はピアノ自体はうまいんだけど、アンサンブルはあまり経験がなかったみたいで、私の先導も良くなかったのもあって、出来は芳しくなかった。いや、どうでもいいか。

ちなみに、モンティのチャルダッシュ弾いてきました(バイオリン&ピアノ編曲版)。
あまり難しくないわりに、派手なのでライブ向きです。

えみりちゃんうまいわー。自分のビジュアルもよく理解していらっしゃる。
彼女はいろいろ活躍していますが、私の世代では、お父さんの宮本文昭さんの方が思い出あります。

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