何の話かというと、補習校の保護者の方々とお話しする機会があって、そこで聞いた話が大変有意義だったのだ。
日本でもそうだったけれど、結局、よく話をするのは子供の同級生の親だったりするので、それ以外の人たちと交わることがそうそうない。その点、補習校の保護者というのは幼稚園から高校までの幅広い学年の保護者と交流できる。素晴らしい。海外でも日本語で教育を受けさせたい、という点では同じ思いだしね。
自分のロールモデルともなるべき、少し先を経験されている方々の話は参考になることばかりだ。
シアトル近辺で20年以上暮らしていて、かつ、兄弟二人を補習校に入れ、このたび一番下のお子さんがこの3月に高校を卒業されるという方がいた。そのお子さんは幼稚園から入園されていたそうである。頭が下がる。そして、そのお子さんは、夏の体験入学を除いて日本で教育を受けたことがないというのに、日本の大学への進学を希望しているのだそうだ。
「同じように育てているはずなんだけど、上の子はぜったいアメリカ、日本なんて興味ない、という感じなのにねぇ」
と不思議がっていた。
それでも、思春期の中学生時代はなかなか難しかったそうだ。
補習校への気持ちが低下して、何度か補習校をやめる危機もあったようである。
それが、高校へ入学すると一変して、今は土曜日が楽しくて仕方ないそうである。
どうやら、高校は先生方とも一緒になって、全員で助け合って補習校と現地校を乗り切ろうみたいな連帯感があるそうだ。息子がそこまでたどり着けるかわからないけれど、希望があっていい話だと思う。
今は息子は2年生で、びっくりすることにもうすぐ3年生になるんだけど、周りの保護者の中には
「子供が面倒がって日本語を話さない」
という悩みが着々と増えてきている気がする。
昔、日本語教師をしていたという方が、
「低学年のうちはまだ問題なくても、3年生くらいからだんだん熟語が難しくなってくる。漢字のひとつひとつの意味はわかるけれど、それが合わさると意味がさっぱり分からなくなり、応用が利かなくなる。習った言葉を丸暗記するしかないから、単語が広がらない」
とお話しされていた。
まわりの保護者の方も「うんうん、わかるわかる」と大きくうなずいていた。
これらのことを含めて「9歳の壁」は本当に存在するんだなぁと思った。
息子はうまく波に乗っていけるだろうか。
***
海外に暮らす日本人保護者の集まり、これが今自分の一番居心地のいい場所かもなー、と話をしながら思っていた。気が合う合わないはあるにしても、海外で子育てする上で似たようなところでつまづいたり悩んだりして、共感できることがたくさんある。
定期的に「自分よりちょっと先に行っている人たち」と交流できたらいいなと思う。
息子が赤ちゃんの時に、3歳くらいの保護者に話を聞きたいと思ったし、3歳くらいの時は小学生の保護者の話を聞きたいと思った。そういうことで救われる親ってたくさんいるんじゃないかな。
私の周りには、うちも含めて渡米2年以内のご家族が多い。駐在が多いエリアだということもあり、入れ替わりも激しい。そうすると、あそこの家の子は来て数か月だというのにすでにネイティブの子となんとなく会話できていてすごい、それに比べてうちの子は...みたいな話にどうしてもなってしまう。
(負け惜しみみたいだけど)スタートダッシュは本人の性格と環境などにどうしても左右されると思う。
そこだけを見て「すごい/すごくない」とか言い出したら本当にきりがない。親としてはもちろん、早く学校になじんでほしい、英語を獲得してほしい、と願うのは当然なんだけど、もっと長い目で見た時、そのスタートダッシュはそれほど意識しなくてもいいじゃないかと思う。
だって、ネイティブの子から見たら、現時点では話せないレベルにほとんど差異はないんじゃないかと思うし。どうせ話せないんだったら、一緒にいて楽しいかどうかの方が友だちとしては大事だよね。
もちろん英語は早めに身に付いた方が本人も楽だけれど。
子供が赤ちゃんの時だって、もう寝返り打てるようになったとか、つかまり立ちしているとか、そういうことを比べて一喜一憂したりしていたけれど、それって今となっては大した問題じゃなかったじゃないですか(いや、もちろん発達の段階で気を配らなければならない点はあるけれど、それはここでは置いておくとして)。今となってはもっと目に見えないところの面倒くさいことがたくさんでてきたわけで。
英語は単なるツールである。
ツールを使いこなす訓練は必要だ。でも、地頭というか先を読むというか、そういう言語を超えたところの何かの方が大事だ。その作業を日本語でやろうが英語でやろうがどちらでもいい。ただ、どちらの言語もできた方がチャネルをたくさん持っているという点で有利になる。たとえば、数はぜったい日本語で考えた方がわかりやすいし。
そこを育てているうちに、英語日本語も習熟してどちらの言語でもフレキシブルにスイッチできるようになったら、かなり大きな武器になるのではないだろうか。
そういえば、私の知り合いの帰国子女で
「日本語も英語もどちらもしゃべれるけど、自分のできる英語使う仕事って電話番くらいしかない」
と嘆いている人がいたのを思い出した。
「バイリンガル」であればチャンスはいくらでも広がっているわけではなくて、「バイリンガル」を武器にしうる何かを持っているかどうかの方が、やっぱり大事なのだと改めて思う。
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