アメリカ西海岸、シアトルのお隣ベルビューにいます

2015/11/30

自分はもしかしてひと山越えたかもと思ったこと

海外で生活しようが何しようが、生きていくうえで必要なタスク、それは家事。
私は育休中を除き、家事専業生活を送ったことはなかった。

家事ってあらゆる点で難しい。
  • 納期がない
  • 手当もない
  • そのくせマルチタスクを求められる
  • 一定の水準をクリアしなければならない
  • 向き不向きは関係ない
  • だれでもできるとか言われがち
「みんなできるのに、何でお前だけできないんだ」とは、私が実際に前夫に言われたセリフである。
(私は2回結婚しているのだ。こういうセリフだけはしつこく覚えている。)

家事をする理由はたった一つ、
人間的な生活を送るため
である。
別にアウトソーシングしてもいいとは思う。
でもそのためには先立つもの、お金が必要だ。
そしてたいていは全てをアウトソースするお金がないから(または価値を見出せないから)、ある程度は家族のだれかが担うのだ。
専業主婦となると、家事全般の責任を受け持つことになる。

長々と書いたけれど、要するに私は家事が苦手である。
前の結婚で良かった点が一つだけある。
前夫はきれい好きでそのくせ古き良き時代の女性を私に求めてくる人だったので、何かと小言を言われたため、家事が人並みにできるようになったことである。
一度外出から帰ってきたら口をきいてくれなかったことがあった。
理由がさっぱり思い当たらないまま2日も無視され続け、最後に理由を聞いたら「朝ごはん食べた後の食器を洗わずにシンクに置きっぱなしにしていたから」だった時は、さすがに、えーと、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと思った。
よくもまあ、こんな人と結婚生活続けられたなと感心する。

アメリカに来て、しばらく怒涛のように日が過ぎていって、はたと気づいた。
あれ?私、こっちに来てから掃除したっけ?

3ヶ月も過ぎたころである。
もちろん、小さな掃除はしていたはずだ。
テーブルを拭いたり出しっぱなしのものを片づけたり、箒で気になったところを掃いたり。
でも、部屋に掃除機をかけてゴミをまとめて物の収納場所を決めてそこへしまう、という一連のことをやった記憶がなかった。

恐ろしい。

嫌いにもほどがある。思い出しもしなかったんだから。
脳が考えることを拒否していたのかもしれない。

それで、ある時突然

掃除をするぞ!

と思い立った。
片づける場所がなかった雑貨類や薬、郵便物を入れる収納をスーパーでもらってきた紙袋で作ったり、IKEAで買ってきて組み立てたままになっていたチェストに、散乱していた息子の服やその他雑貨類をしまったり。
トイレからお風呂から水回りを掃除して、棚の拭き掃除をし、最後にガガーッと掃除機をかけたらすっきりした。
家中がすうーっと爽やかになった気がした。

そこでまたはたと気づいた。

家を掃除できるようになった。
ああ、これで私はアメリカ生活の山を一つ越えたのかもしれない、と思った。

大げさだろうか?
でも、家事って納期がないし、ゴールもよくわからない。
掃除だってどこまでやるのが正解っていうのがない。
トイレ掃除を一日さぼったら、クライアントに迷惑がかかるか?
食器をシンクに一日放置していたら、損害賠償請求されるか?
そんなことない。
家族に怒られたり嫌味を言われるくらいが関の山だ(差はあるとは思うけれど)。

だから余計、私の場合は掃除が心のバロメーターになっていたんじゃないかと思うのだ。
やって当たり前の家事。
だからと言って、やらなくてもそれほど困らない家事。
それを何らかのモチベーションを持ってやり続けるのって、なかなか大変なことだと思う。
突然家が汚くなり出したら、うつや痴ほう症を疑え、というのは本当にそうだなと思った。

さて。

家がきれいになったんだけど、うちの男子たちはどんな反応を示したか。
予想通り、

ノーリアクション

であった。
だから家事のしがいもないんだよね。
いえ、言い訳ですが。

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