アメリカ西海岸、シアトルのお隣ベルビューにいます

2020/04/06

COVID-19: 志村けんさん

志村けんさんが亡くなったという速報は、ツイッターからでした。
この後しばらく、私は何も考えられなくなってしまった。ただただ呆然と立ち尽くすだけだった。

私はドリフ世代ど真ん中

私は特に志村さんのファンというわけではなかった。
もちろん、ドリフ世代ど真ん中なので、私の中のお笑い史はドリフから始まっている。
ただ、全員集合の後のドリフの番組は、あまり好きじゃなくてほとんど見ていなかった。内輪受けっぽい感じとか、エロさで笑いを取ったりするのに、嫌悪感のようなものを感じていたからかもしれない。

大人になって見たものの中では、これが印象に残っている。

ビートたけしさんとの組み合わせが素晴らしくかみあっていて、すごく面白かった(語彙力…)。二人とも大はしゃぎで、楽しそうにわちゃわちゃしているおじさんをほほえましく見ていた気がする。
ただ、これ以外のバカ殿様シリーズはそれほど好きじゃなくて…

全員集合で特に好きなコントはこれ。

43分30秒くらいから始まる、小柳ルミ子さんが入ったコント。
腹がよじれて死ぬかと思った(最近、アマゾンプライムに全員集合があって、ちょうど見たところだった)。志村さんがツッコミをしている。

あと、これも最高。

立ち上がって爆笑してしまった。息ができなくなるくらい笑ったのは久しぶり。
終わった後、ぜえぜえ息が上がってて、免疫完全に上がったと思った。

死の意味

私みたいな、特にファンでもない人間の意識の奥にも刷り込んでくるような笑い(を絶妙な嫌悪感とともに)を、さまざまに進化をしながら変わらずやり続けてきた志村さん、なぜこんなところで亡くなってしまうのか、と憤りにも似た感情でいっぱいになってしまった。

惜しむ声の中には、「亡くなることで私たちに教訓を」とか「これでコロナの恐怖が伝わるのでは」とか「最後のメッセージ」みたいな言葉が散見された。そういう意見も出てくるだろうことはもちろん予期できたけれど、私は…私は、そんな風に志村さんの死に意味を持たせるのは違う、と感じている。

死は死でしかない。死に意味なんかない。少なくとも、本人にとっては。死に意味を持たせるのは、残った人間たちだ。
笑福亭鶴瓶「生きとかなあかん」志村さんを思い…(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
「生きとかなあかん。絶対に。生きないとダメ。コロナにかかったらいかんのです。うまいことくぐり抜けて生き続けないと。こんなことで死ぬなんて腹立ってしゃあない」
そうだよ、生きていなくちゃいけなかった。こんなところで倒れるわけにはいかなかった。うまいことくぐり抜けて、とにかく生きて、生き続けるべきだった。
志村さんは、ただ行きつけの飲み屋で飲んでいただけだった。
そんな、ふつうのことをやっていただけなのに、そんな些細なことが彼の死につながってしまった。

いつものことをいつもと同じようにできる世の中が再び来ることを願っています。

↓志村さんの死に対して、何かモヤモヤとしたものがあって、それは何だろう…と考えていたらタイミングを逸してしまいました。ポチッとしていただけたら嬉しいです↓

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