アメリカ西海岸、シアトルのお隣ベルビューにいます

2019/11/26

人を乗せて高速運転する日が来るとは

方向音痴が止まらないたまこです。
先日友だちと、方向音痴は治るものじゃないよね、と話したところです。

運転自体は慣れた

方向音痴はどうにもならないとして、運転はかなり慣れた。たまに眠気を催すくらいに。運転ダメな時は、運転中ずっと緊張していたから、眠くなるなんてことはなかった。最近は慣れている道ではぼんやりしてしまうこともあったりして、逆に危ない。

思い起こせば、息子の習い事で高速に乗らざるを得なくなり、それが上達への一歩だったと思う。やらなければならない状況になれば、人はやるしかないのだ。
それから少しずつ自信をつけ、高速も乗れるものなら乗るようにし、ナビから高速を避けるオプションを外すようになり、気づいたら他人を車に乗せて高速運転もするようになっていた。すごい。4年前の自分からは全く想像できない。
人を乗せる場合は何度か行った場所に限るんだけど、これだけでも素晴らしい進歩ではないか!

比較するとわかる自分の運転レベル

夏に友達の車に乗せてもらう機会があって、何度か助手席に座らせてもらったんだけど、彼女たちはすごかった。あんなに会話を弾ませながら、全然道にも迷わないし、慌てることもなかった。ふつうの道に迷わない人たちっていうのは、隣に座っていて、こんなに安心できるのか、ということを学んだ。学んだところで私の方向音痴は治らないし、運転技術も向上しないし、何かというとあわあわするのも全然治らないと思うけど。
(息子にも「お母さん、よく慌てるよね」と言われるくらいにあわてんぼうである。)

他人様を乗せて高速道路を運転できるように

それはそれとして、それでも最近ちょっと遠い場所(高速に乗って15~20分くらい)まで、車を持っていない方や持っていても高速道路に入れない方などを乗せて差し上げる機会が何度かあった。すごい。以前だったら絶対に断っていたわ。
これを英語への教訓にすれば、そのうちだれかの通訳くらいできるようになるんじゃないか(なりません)。

乗っている方も、「下手くそだなぁ」と思って静観されているんだと思うけど、それでもかつての自分を考えると、おそろしい進歩である。40を超えてからの最大の進歩と言って過言ではないと思う。
これができるようになると、いろいろ幅が広がっていいなーと思う。
誰かに乗せてもらえないか探すより、自分が車を出すよ、と言う方が100倍速い。しかも楽である。行動範囲も自由度が増す。
私にとって、運転技術の向上は、アメリカ生活での自由への象徴だった。本当にそう思う。

It's never too late to start

以前から何度か言っていると思うんだけど、人間にとって、何かを始めるのに遅すぎるということはないんじゃないかなーと思う。技術的にはそれほどうまくないし、たぶん今後、今以上に上達するとはとても思えないけれど、それでも生活に困らない程度の技術はあるし、自由な世界を手に入れた感はある。

過去記事を読んでみると、毎年少しずつバージョンアップしていて、涙ぐましいというか汗くさいというか、オットに放置プレーされても挫けずに運転してきて良かったなーと思う。
(読み返したら、一度さじを投げていたことが発覚。人間って忘れるよねー。私だけかなー)
渡米後3年超、運転技術は向上したのか

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