アメリカ西海岸、シアトルのお隣ベルビューにいます

2017/04/23

無意識の差別

サンフランシスコ旅行でもちょっと触れたんだけど、サンフランシスコのコステロ通りと言うのは、ゲイが集まる街である。それを象徴するレインボーフラッグがたくさん見られる。

最近、テレビにもゲイの方が出るようになって、昔に比べれば差別意識は低くなったような気もするけど、実際にはまだまだ壁があるんだろう。みんな違和感を感じるから、このレインボーフラッグのあるこの街に集まってくるんだろう。LGBTの人たちにとっては、やっぱりこの街が住みやすいからなんだろう。

トロント在住のキャシーさんのこの記事が、私の中では一番わかりやすい。
フェアな社会とは何か?平等と特権と差別をもう一度考える。 | トロントのハッテン車窓から

私たちが泊まったホテルでも、やっぱり同性カップルを何組も見た。
それから、私の意識からすっかり飛んでしまっていて、はっとしたんだけど、中にはお子さんが、しかも複数いらっしゃるカップルもたくさんいらした。
同性カップルだって、子供を持てるのだ。
そしてそこには同じように、自分が子供の世話でてんてこ舞いしているというのに、パートナーがずっとスマホいじってソファでゴロゴロしていて頭にくる、とかいう愚痴も展開されるんだろう。

なんていうか、ダイバーシティ、と一口に言ってもたくさん切り口があって、自分が知らなかったり接触が少なかったりすると、気づかないことってたくさんある。そして、気づかずにちょっとずつ差別的な発言をしたりすることもあるかもしれない。そしてそれは、知らなかったではすまされない。
だから、こういう街で当たり前にそういう家族を目にして育ってきたら、それだけで他より少し感覚が豊かになるんじゃないだろうかと思ったりした。




渡米前に働いていた会社で、ダイバーシティに関するワークショップがあって、その時にお話ししてくださったパネリストの方の話がとても面白かった。
女性が管理職になれないのは能力がないからとかすぐヒステリー起こすとか産休育休取るから長期で登用できないとかいろいろ言われるけれど、取りあえず登用してみなさい、と人事と戦ってきたそうである。
彼女曰く「上に立たないと見えない世界があるから」ということであった。

男性の場合、たとえば喫煙室だったり退社後の居酒屋だったりで上司と接触する時間が同じ職級の女性と比べると多いのだそうである(それ自体がいいか悪いかはともかく)。女性はそもそも誘ってもらえないし、そういうスモールチャットにもくわえてもらえない。情報が足りないから、結局オフィシャルなミーティングで聞く話はすべて初耳、そこであれこれ意見を言おうものなら「こんな場所でその物言いはかわいげがない」などと言われてしまう。

こういう小さな積み重ねが、女性の管理職登用の機会をどんどん奪っていくのだそうである。

あるいは、小さいうちから「女の子が教養を身に付けても意味がない」とか「学歴が高すぎると嫁にいけない」などと言われ続けていれば、それに対して疑問を持ったりそれを乗り越えてまで学問を身に付けようとするには、男性と比べても壁が高すぎてしまう。
もちろん、男性は男性で「男のくせに甲斐性がない」などといった、逆の差別も生じうる。
たとえば、私も「男性・女性」という側面で見れば劣位である。でも、「学歴」で見れば優位だし、「白人・有色人種」、「健常者・障碍者」等々いろんな切り口があって、立場によって優位・劣位、どちらにもなりうる。

常に意識していたら、だれとも会話なんてできなくなってしまうけれど、心に一つでもブレーキを持っていることが大事だなと、サンフランシスコの街を歩きながら、なんとなく考えていた。

最初にアメリカに来た時、クラスに様々な人種の子供がいて、様々な言葉をしゃべり、様々な文化を持っている集団に小学生のうちから息子が囲まれて育つのは、とてもいい経験になるんじゃないかと思った。ほぼ同一言語をしゃべるほぼ同一民族の集団の中からは育ちにくいこともたくさんあるし。そこに抵抗がなくなるのは、少しうらやましかったり。
まあでも、実際には、アメリカも「差別」に関してはピリピリしているので、それがアメリカにも差別のある証拠と思ってみている。人間の性なんだろうな。

余談だけど、この「肌色」色鉛筆もすごいと思いませんか?
いつか、レインボーフラッグなんてなくてもいい世界になるといいのにね。

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