アメリカ西海岸、シアトルのお隣ベルビューにいます

2016/06/01

駐在妻の精神状態 ~ もうすぐ1年 ~


正確には私は「駐在」妻ではないのだけれど。
昨年の夏の投稿記事を読んで、「これは後日談を書かねば!」と思い立ったので、書きます。

結論から言うと、細かいことを除けば、表面的にはかなり落ち着いた気がする。
振り返ってみて、私の転機はいくつかあったように思う。
  • 運転免許を取って、自分用の車を買ってもらった(3, 4ヶ月目あたり)
  • 子供が小学校へ通いだした(2ヶ月目)
  • 自分もESLへ通いだした (2ヶ月目)
全部に共通して言えるのは、「解放される」ということだと思う。

「自分で運転する車で、好きな時間に好きな場所へ行くことができる」というのは非常に大きい。
渡米してずっと、今も多少残っているけれど、「自分は全然役に立っていない」という状態が少し緩和されたのだ。
だんなさんに頼まなくても、お米を買いに行けるし、ダイソーにだって行ける。
子供を習い事に通わせることもできるし、少し遠い公園にも連れていける。
自分のヨガ教室にもESLにも行ける(バスで行けないこともないけれど)。

自分の都合だけで

子供が学校に行き出したのも大きい。
子供が学校に慣れるまでは大変だったけれど、いったん慣れてしまえば、子供のいない時間は自分の都合だけで動ける時間である。
家事もはかどるし、友達とランチに行くこともできる。
それまでは、私はただの「家事・育児係」でしかなかった。
当のだんなさんは、朝は8時半くらいに出かけていって、帰ってくるのは夜中だ。
それでも、勝手に洗濯物はきれいになってタンスにしまわれているし、朝ご飯だって勝手にできている。
だんなさんにとっては好都合だろう。
でも、そのためにだけに渡米するんだったら、ただの飼い殺しだよ、と思う。

私の生きがいをすべてあきらめさせて、自分の都合で家族全員アメリカに呼び寄せて、そこまでしてやらなければいけない仕事なんてない。
少なくとも私は自分の仕事に誇りを持っていたし。
まだまだやれたし、やる気もあった。
1歳から息子は保育園に預けて働いていて、そこまでして働くんだからそれなりに真剣に取り組んできた。

そうやって続けてきた妻の仕事を、自分がアメリカで仕事をすることになったからと言って、辞めさせる理由に値するんだろうか?

これに関しては、答えが出ない。
何をもってしてそれを測るのか、メジャーがない。

もちろん、家族は一緒に暮らすことが前提ではある。
できることなら離れない方がいい。
そう思えば、アメリカ行きをあきらめることだって、選択肢としてあったはずだ。

でも、この決断に関しては、私にも責任がある。
だんなさんは一度はアメリカ本社で働いてみたい、と言い続けていたのを知っていたし、会社の状況からしてそれはもう叶わないだろうなと半ばあきらめていたので、打診があったときは、躊躇したけれど、彼にはアメリカで仕事をさせてあげたかった。
私も、生涯で一度くらいは海外暮らしした方が経験になるし!とその時は、思ったはずだった。
(心の底では嫌だったけれど。)

この辺の心情については、あまり整理できていない。
今でもやっぱり日本に戻りたいと切に思っている。

そういう気持ちを少しでも緩和させる方法として、外の世界と接触することは有効だと思う。
子供が学校に行き出して、近所にママ友ができ、情報交換したり、どうでもいい話をしたりすることで気も紛れるし、悩んでいるのは自分だけではないということもわかるし、そういうちょっとしたことが気持ちを切り替えるのに役に立っていくのだ。

あとはESL.
子供抜きで友だちができたのは大きい。
以前にも書いたけれど(海外生活でコミュニティを築いていくこと)、自分はいろんな側面があってこその自分であり、子供だけでつながっていると、チャンネルがひとつしかない。
ESLで友だちができたとき、「あ、また一つ自由になった」と思った。

次のステップは、
  • 英語
  • 仕事
だと思っている。
英語は本当に切実だ。
効果が出たら記事にしようと思って、毎日せっせとあれこれやっているんだけど、今のところそれほど大きな成果が出ていない(涙)

そして、仕事は...仕事ができるほどの英語力がなくて、まあ、就労許可をまだ取っていないというのもあるんだけど、もう少し使えるレベルの英語力をつけないと、今のところは厳しい。
英語のいらない仕事にすればいい、仕事を選ぶなんて贅沢、と言われるかもしれない。
でも、「こんなに英語もできない、使えない人間を雇ってくれるのなら、もう何でもやります」というスタンスで仕事を探すことが、私の求めていることとはやっぱり思えない。
もちろん、当面の生活に困っていない贅沢な人間の戯言と言われれば、もちろんそうなのだけれど。

と、こうしてまとめてみると、一年たってもそんなに大きく変化はしていないかな、と思う。
同じ場所でぐるぐる回っているだけなような気がする。
回り方のコツを何となく掴んだだけのような。

仕事もそうだったけれど、まずは三年、この環境でがんばってみます。
三年たつと、見えてくる世界があるのを、経験的に知っているから。
年を重ねるのも悪いことばかりではない。

9 件のコメント:

  1. たまこ様

    初めまして!いつもこちらのブログを楽しく拝読しております。renkonと申します。
    今回のテーマ、、、誠に勝手ながら、若干境遇が似ているような気が致しまして、
    で、思わず『解る、解るぅ〜!』とばかりに、思わず勇気をだして、こちらにコメントをさせて頂きました。

    実は、私も(全く日本語の出来ない)アメ人と数年前に結婚し、様々な諸事情があってグリーンカード取得に年月を費やし、ようやく今年の1月シアトルに引っ越して来た身です。
    以前、同じくシアトルに数年間の留学経験もあるにはあるのですが、ここ数年のシアトルとベルビューやその近郊の変化・発展がすざまじいせいなのか、約7年ぶりではありますが、それでも戸惑うことは多々あります!
    そして、私の目下の課題も英語と仕事です。いくら以前留学していたとはいえ、ブランクも有るし、、、因みに、私もESLSpringのOne quarterだけですが通ってました。

    本当に、英語と仕事、、、これが厄介な課題ですよねぇ。なので、たまこ様のお気持ち、大きく共感してしまいます!
    これからも、お邪魔させて頂きますので、何卒宜しくお願い致します。

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  2. renkonさん、

    コメントありがとうございます!励みになります。
    アメリカ人とご結婚された方でも、共感できる部分があるのですね。
    私なんかより語学堪能で、悩む部分が異なるんじゃないかと勝手に思っていました。
    海外暮らしは、「日本でふつうにできていたことができない」ということの連続で、本当に心が折れそうになること多いです。

    ぜひまたコメント寄せてくださいね。

    たまこ拝

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  3. こんにちは。初めまして!前にもコメしたかもしれませんが。
    私も同じです。旦那はアメリカ人ですが、日本に5年弱住んだだけで、結局アメリカにわたる羽目になりまして、私は、今でも毎日毎日帰りたいという気持ちを持ちながら生活しています。日本でなら専門職でやりがいのある仕事ができていたのに、ここにいては何もありません。劣等感ばかりが募ってきます。あんな人に負けたくないと思うけど、英語っていう時点で自分はスタートラインにも立ててない訳で、完敗です。私はこんなところで何しているんだろうって、心の中は毎日悲しいです。もちろん外には出しませんけど。子供たちがいてくれるから(あとダイソーがあるから)頑張れるし頑張らなきゃって思っていますが、それだけです。うちの旦那は、もう二度と日本には住もたくないそうで。。。私はこの地にいながら、自分の自信を取り返さなければなりません。時間をかけてやっていきます。劣等感の塊をほぐすため5カ年計画(今作りました)実行です。

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  4. トラトラさん、

    そうですか、ご主人はもう日本に住みたくないとおっしゃっているんですか。
    それはお辛いですね。

    「劣等感」、まさにその通りだと思います。
    ここから抜け出したいけれど、なかなか壁が高いですよね...
    そんな中で5か年計画ですか!
    何か目標を立てるのは、確かにいいかもしれませんね。
    私もやってみようかな(笑)

    あとは、がんばるのはほどほどに。
    心のバランスを保てる程度にされますように。

    たまこ拝

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  5. はじめてコメントします。
    シアトルでの暮らしを検索して辿り着きました。
    私もアメリカ人と結婚してアメリカに住む身です。現在は日本人が多いという理由で
    選んだハワイに住んでいますが、大学時代住んでいたワシントンに、シアトル出身の
    主人と戻るべきなのか悩んでいるところです。

    日本に住んでいる時には当たり前にできたことが出来ないというのは
    実感すると本当に情けなくなり、焦り、苛立ちますよね。またこれまで感じたことの
    なかった自分の中の「日本人」を強く感じて、馴染むのも一苦労・・・。
    それこそ私は高校からアメリカですが、その時は若さゆえ考えていなかった
    けれど、差別されているんだと感じることも多くなりました。

    でも、ステップバイステップ。小さなことでもアメリカを好きになる、
    (私の場合は来た時は大嫌いだったハワイ!)いいところを見る、
    人を大事にする、人脈が広がり思わぬ仕事や出会いがある、
    そういうのを少しずつやっていって生活の基盤がしっかりしてくると、
    今度は日本に帰って「あれ、アメリカの方がちゃんとしてる!」なんて
    思うこともあります。うちの主人は日本語がしゃべれますが、
    それでも日本に住もうとしたら、仕事探しだけでも本当に大変で、
    今35なんですが、年齢が・・・と断られてしまいました。当面日本に
    帰らなくていいや!と吹っ切れました。(だってまだ若いつもりですもん!
    私の職場では70代80代の方まで普通に働いてます!)

    どちらの文化も知るということで生きにくいことはたくさんあります。
    でもバランスを取っていったら絶対にプラスです。

    これからもブログ楽しみにしています!

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  6. みーさん、

    コメントありがとうございます。
    ハワイに住んでいらっしゃるんですね!
    遊びに行くのと住むのでは、全然違うんでしょうね。

    シアトルは、いろいろ聞くにつけ、アジア人には住みやすいんじゃないかなーと思っています。
    息子のクラス写真を見ても、「これはいったいどこの国?」というくらい、アジア人だらけです。
    宇和島屋もダイソーもありますしね(笑)
    ぜひ、こちらに越してきてくださいませー

    おっしゃる通りで、「どちらの文化も知る」というのは、貴重な経験だと思っています。
    子供はよくわかっていないですが、あの年齢でたくさんの文化に触れられるのは、本当に素晴らしい経験だと思います。
    それだけに、自分だけが居場所が定まらない、という焦りのようなものがあって、辛いことも多いです。
    これをどう克服していったらいいものやら。

    ブログは細々とですが、続けていければと思っています。
    励みになります。ありがとうございます。

    たまこ拝

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  7. ずっとお仕事されてたら、そこから急に言葉も違う、仕事も
    自分のやりたいことができないっていう環境になると、居場所が定まらない
    という気持ちになるのは当然のことと思います。
    私にとっても仕事をするということは人生の中ですごく比重が大きくて、
    お金を稼ぐ手段という以外のもの・・・大げさに言うと自分の存在意義を
    自分でどうにか感じられるものだったり、自分の能力が活かせたら
    こんな喜びはない、というものです。
    来たばかりの時は仕事もしていなかったし、する勇気がなかなか
    出せずにいました。アメリカで働くということは、英語ができることが
    スタート地点と思ってしまったことも大きかったかもしれません。
    何にも自信が持てない、でもバカにされたくもないというプライドもある、
    したいことと出来ることと求人の狭間で、じっとしつつ焦るという日々が
    3年ちょっとあったかと思います。長いですね。笑 
    仕事をパートとして始めた今も、他にできることがあるんじゃないかと
    焦っているのはあまり変わらないですが、少しずつ着実にこの9年近くで
    自分の世界を広げてきました。義母に昔言われました。「部屋の中でじっと
    していたって、あなたの友達はドアをノックしには来ないのよ」って。
    (私があまりに引きこもっていたから。笑)

    自分のことに加えて子供のことも悩む毎日。うちは二人とも、上はこんど3年生
    ですが、日本語の方が強いんです。テレビ、本、ほとんど日本語のみに
    しています。これがこの先どうなるのか、負担になっているんじゃないのか、
    いじめにもあったので、苦しいところです。

    すみません、書こうと思ったら永遠に書けそうになってきてしまいました!!
    長々と申し訳ありません!

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  8. みーさん、

    たびたびありがとうございます!
    お会いしてお話ししたいくらいです。
    とてもこんなところでは書ききれませんっ!
    シアトル移住が現実になりましたら、ぜひお声がけくださいませ。

    年齢的に、お子さんは日本ではほとんど暮らしたことがないのですよね?
    それで日本語が強いというのは、それはそれですごいですね。
    そうですよね、自分のことはともかく、お子さんのことは、みなさんとても悩んでいらっしゃいます。
    自分が経験したことのない海外での学校生活、多言語習得であり、予測が立たなかったり想像もつかなかったりの連続で、親として何がベストなのか本当に悩ましいです。
    お子さんがいじめに遭われたのは、それはお辛かったですよね。
    今は落ち着いていらっしゃるのですか?

    もし、こちらへの書き込みで少しでも気持ちが楽になるのでしたらいつでもご活用ください。

    たまこ拝

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  9. ありがとうございます。今はいじめというほどのことはようやく
    なくなりました。キンダーでトラブルがあったとき先生たちは
    「言葉というより彼の性格、コミュニケーションの問題」と言っては
    いました。その通りであろうとは思いますが、発覚したきっかけは
    「日本語しゃべるからあっちに行け」と言われたことでした。
    日本で暮らしたことは全くないのですが、ここまでよく日本語を
    キープしているとは思います。でもこのままで良いものか・・・。

    たまこ様のブログでますますシアトルかベルビューやっぱり
    いいなーと思っていますよ~!また書き込みますね!
    ありがとうございました!

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