霧の中の図書館 運転なんてできる気がしない |
というわけで、涙なしでは語れない、私の運転免許取得までの辛い道のりを制してから早2か月、私専用の車を持ってから1か月、ほぼ毎日何かの理由をつけて車の運転をして、何とか体に覚えさせようと練習の日々である。
唯一の支えは、息子の「お母さん、運転上手だよ、お父さんがうるさいだけだよ、もう泣かないでね」という麗しき母への愛情である(私にハンカチを…!)。
このように、息子にも精神的に追い詰められて泣きじゃくる母の姿を見せてしまったくらいで、いまだに「車に慣れる」という日が来るとは思えない。
車の運転が怖くて悩んでいるみなさん、ワタクシ、いつでも傷を舐めあう準備は万全です!
いまだに運転前には必ず自分の車に向かって「今日も下手くそですががんばります。私を助けてください」とお願いしてから発進するくらいのビビりようではあるけれど、車って人を自由にするんだな、と肌でひしひしと感じられるくらいには成長した。
お米だろうが液体だろうが、躊躇せずに買えるのである。
雨でも濡れずに外出できるのだ。
学校のボランティアにもいくらでも参加できる。
子供の送り迎えだってできる。
そして何より、自分の都合だけで予定を組める。
運転ができるようになるまでは、ちょっと不便なところに行かなくてはならないイベントがあったとすると、まずだんなさんの都合を聞いてから、となる。
だんなさんも無理して都合をつけて会社を中抜けするので、だいたいそんなに機嫌が良くない。
そしてだいたいものすごく急かされる。
都合が悪いと、今度はバスルートを考える。
近くにバス停はあるか、バス停があったとしてそのバス路線はうちの近所も通るのか。
準備にも手間がかかるのだ。
そして面倒になって、イベントには参加しないことになる。
人気ブロガーBoiさんのこの記事。
楽しくないアメリカ生活・・|Boiのシカゴに住むことになりました。
自分が不得意とわかっており、怖いとまで思っていることに挑戦するほど若くない、というか、そうしなくなって随分たっているから、どうしてエエのかようわからんのかも知れん。これを最初に読んだ時は失礼ながら、「そんなことわかっている。でも、できるようになりたいのと実際できるようになるのでは、そこに相当な差があるわけですよ」と、ちょっとイラッとした。
ただ、それに挑戦してみることで、開けるものは多くある。
今や運転している自分をふと客観視することがあり、その瞬間に、わーっと嬉しい感情が出てきて、なぜか、車の運転が毎日の自分への自信になっている。そのたびに、ここが自分の今の居場所やなぁ、と思えて落ち着ける。
だって、アメリカに来なければ、車の運転だって一生しないで済んだかもしれないのに。
(他にも、仕事も趣味も諦めて渡米してきたんだぞ。辛いことの上乗せじゃないか!)
でも、それでも、40過ぎて新しい生活を始めて、車を運転するようになって、外出が楽になって…ということを続けていくうちに、自由を手に入れるっていうのはこういうことなんだ、と肌で感じられるようになった気がする。それは日本で楽(でもないけれど)な生活を送っていたら、たぶん、一生得ることができなかったことなんじゃないだろうか。
それが、私が日本に置いてきてしまったものと比べて、じゅうぶんにペイできるものかは、うーん、今のところ何とも言えないけれど。そもそも比較すべきではないのかもしれないけれど。
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うちのだんなさんに「運転が怖かったことってなかったの?」と聞いてみたら、「いや、オレは教習所の3段階で『掴んだ』って思ったんだよね。それ以来、運転に関しては特に何の感情もないね」とあっさり返された。
何の慰めにもならないな。
がんばってますねたまこさん!私は毎日運転しないけど、少々行動範囲が広がってまいりました。坂のてっぺんに住んでいるので、帰りは恐怖の登り坂とキュルキュル闘いながら...
返信削除女優の杉本彩さんも、40歳を過ぎてから犬を遠くへ連れて行きたくて運転免許とったそうです。私も半分同じ理由です。息子さんやさしいですね。うちの犬もそんな風に言ってくれたらなあ!お互いに傷口ペロペロしあいましょう。
Yumikoさん、
返信削除いつもありがとうございます。
「犬のために」って素敵ですね!
使い古された言い方ですが、人は誰かのためにならがんばれるっていうのは真理だと思います。
私はどちらかというと「自立したい」というのが根底にあったので、どうかと思いますが(笑)
まだまだ怖くて超初心者です。
同志(と言っては失礼ですが)の励ましが本当に嬉しい!
ぜひペロペロさせてくださいませ~♪
たまこ拝